京都『三十三間堂』には、なぜ1000体以上の仏像があるのか?

京都『三十三間堂』には、なぜ1000体以上の仏像があるのか?

4連休を利用して、ほぼ小学校の修学旅行以来の本格的な京都観光に行ってきました。嵐山渡月橋→金閣寺→三十三間堂→清水寺→京都タワーという超メジャールートで回ってきましたが圧巻だったのは 『三十三間堂』 圧倒的な仏像の数と建物自体のカッコよさにやられました。

国宝 三十三間堂はなんと免震工法で建てられている

小学校の修学旅行の際に「自分に似た像が必ずある」みたいな事を言われたことしか覚えていない三十三間堂。いつ誰が建てたのか?なんて情報も当時は興味なし。ということで、改めて調べてみました。

正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。
  平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿・ほうじゅうじどの」と呼ぶ院御所内に、当時、権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したものでした。 ところが、そのお堂は建長元年(1249)、市中からの火災により焼失し、鎌倉期・文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、今もわずかにその名残を停めています。
  地上16メートル、奥行き22メートル、南北120メートルの長大なお堂は、和様、入母屋造り本瓦葺きで、手前からはるか彼方へ一点透視的に漸減する眺めは、胸のすく壮快さです。

公式サイトhttp://sanjusangendo.jp/

なんと名前にも、ちゃんと意味がある。 観音菩薩の変化身三十三身とは、  観音様が救いを求める衆生の前に33もの姿・形に変化(へんげ)して現れ救うという観音信仰からきているものとのこと。ちなみに仏教では3の倍数は無限を表すようです。
そしてなんと「免震工法」で建てられているとのこと。砂と粘土を層状に堆積して地震時の地下震動を吸収する〈版築・はんちく〉
という部分が、免震ゴムの役割を担っているとのこと。

現代の免震ゴム

また、柱と梁の接合部を敢えて緩くすることで、揺れを吸収する仕組みになっています。現存の建物が1266年=754年前のものなので、この時代の建築家のスキルは恐るべしですね。

千手観音×1000体=無限×無限でスゴくね?という理由で1000体の仏像が作られた模様

公式サイトより引用

本堂に入るとズラリと仏像が並んでいます。誰もが、もうその数に圧倒される感じです。中央に国宝の千手観音坐像。そして取り囲むように左右500体づつの千手観音立像(十一面千手千眼観音菩薩)が10列の段に整然と並んでいて合計1001体。

1000体もの仏像を配置した理由ですが、三十三間堂が建立された平安時代末期は釈迦の教えが薄れ、世の中が乱れると考える仏教の教え「末法思想」が貴族の間で流行。救いを求めて競って寺院などが建てられたようです。そんな中、流行の仏教にハマっていた後白河上皇が「極楽浄土の主である阿弥陀如来の側近で人々を救ってくれる千手観音の像を1000体造れば、千手観音様が救いに来てくれるんじゃね? 金は清盛が出してくれるっしょ」
という理由で、作られたとのことです。

「1000」という数字がインドでは「無限」を表し、1000の功徳がある千手観音×1000体=無限×無限でスゴくね?という割と中学生並みの理由です。権力者と流行というのは恐ろしいですね。1000体のうち1249年の火災で876体が焼失し、その他は仏師集団三派が集結し、作り直されたものとのこと。

ちなみに千手観音は1000本手があるわけではなく40本しかありません。こじつけのように1本の手が25の世界を救うとされていて40×25=1000で千手観音という計算らしいです。


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いとうせいこうさん、みうらじゅんさんの名著「見仏記」によると上下左右に体の位置を変えて、視点をずらす事で十重二十重に並ぶ千手観音の印象を変化させる鑑賞法と千手観音の前に並ぶ、異形の仏像たち「風神・雷神と二十八部衆」の絶対的な「多数」に打ちのめされる 鑑賞法が推奨されていました。先に読んでから行けばもっと楽しめたかも。